東日本大震災医療救護班インタビュー

医療活動報告書

第1次医療救護班活動報告

【ミーティング】災害対策本部にて毎夕報告および翌日の担当確認
▲【ミーティング】災害対策本部にて毎夕報告および翌日の担当確認

【避難所巡回】避難所でひとり一人から聞き出して診療
▲【避難所巡回】避難所でひとり一人から聞き出して診療

【搬送】巡回診療中に病院の治療を要すると判断された患者のヘリ搬送
▲【搬送】巡回診療中に病院の治療を要すると判断された患者のヘリ搬送

【訪問巡回】車の入れない場所のお宅へは徒歩で診察に向かう
▲【訪問巡回】車の入れない場所のお宅へは徒歩で診察に向かう

【訪問巡回】島内を隅々まで熟知している郵便配達員さんに案内していただいた
▲【訪問巡回】島内を隅々まで熟知している郵便配達員さんに案内していただいた

【ヘリ搬送】隊列を組んで病院からヘリの発着スペースまで移動し、待機していた消防・自衛隊員によってヘリに患者を乗せ、大きな病院へ移送。1か所でも連携に齟齬があれば雪が降る前に終わらなくなるという緊張感の中、滞りなく完了した。
▲【ヘリ搬送】
隊列を組んで病院からヘリの発着スペースまで移動し、待機していた消防・自衛隊員によってヘリに患者を乗せ、大きな病院へ移送。1か所でも連携に齟齬があれば雪が降る前に終わらなくなるという緊張感の中、滞りなく完了した。

第2次医療救護班活動報告

担当した旧相馬女子高避難所
▲担当した旧相馬女子高避難所

医療支援体制確立のための情報交換
▲医療支援体制確立のための情報交換

協議会発足後のミーティング
▲協議会発足後のミーティング

カーテンを利用して点滴を実施
▲カーテンを利用して点滴を実施

心臓血管外科チーム(福島)による、血栓検査
▲心臓血管外科チーム(福島)による、血栓検査

歯科口腔外科チーム(長崎)による、口腔ケア
▲歯科口腔外科チーム(長崎)による、口腔ケア

日本に未曾有の被害をもたらした2011年3月11日の東日本大震災から、もうすぐ3ヶ月が経過します。
この3ヶ月間、現地では医療支援活動やボランティア活動など、復興・復旧に向け、様々な活動が行なわれてきました。
当院の医療救護班の活動もその一つです。
活動から戻ってきた医療救護班からは【活動報告会】という形で、院内では経験の共有を行い、反省や今後の活動へ活かすため、医療従事者として何が出来るか?について前向きに取り組み続けています。
しかし、今回の様な大規模災害に携わった者として、【報告会】で語られる「災害医療」という目線だけではなく、現地に赴く際の想い現地での想い戻ってきてからの想い支えてくれた様々なスタッフへの想い、など、なかなか形に出来ない想いや経験を「ことばにして」伝え・共有することもわたしたちには大切なことだと思います。
活動から時間が経過した今だからこそ話せる、「一人の人として」「一人の医療従事者として」周りの人たちに伝えたい想いを伺いました。想いを「ことば」にすることは時に非常に難しく、伝えたい表現が簡単に出てくるわけでもありませんが、それでも、一つ一つ丁寧に言葉を選びながら、5人は静かに語り尽くせない想いを話してくださいました。 ―― 記:インタビューアー(実施日:2011.5.10)

  1. 1. 「支援」とは、将来ビジョンが浮かばない苦しさから脱却し、自立できるように支える、そこまでの援助――−。
  2. 2. 今だから話せる「本当の想い」――。
  3. 3. 言葉にすると「想い」と別物になってしまう感覚…。
  4. 4. ことばが持つ「繋がるチカラ」 「人」を求める想いがことばの向こう側に――。
  5. 5. 見つからない「ことば」と、寄り添える「こころ」
  6. 6. 今回の経験を活かす〜この先に繋がる取り組みへ
  7. 7. 派遣メンバーは病院スタッフ皆の気持ちを乗せて現地へ 今回の救護班派遣は皆が支えた支援活動
  8. 8. 現地で感じた病院スタッフみんなの支え
  9. 9. 必ずしも100%の力を発揮できたわけではない。反省点は多々ある。
      でも「頑張ったね」と労われる。それが災害医療に参加するということ
「支援」とは、将来ビジョンが浮かばない苦しさから脱却し、自立できるように支える、そこまでの援助――。
医師:佐々木氏

佐々木 普段から僻地診療ボランティアに参加しているので、今回の派遣も僻地診療や医師不足の地域に行くということで、認識は多少なりともありました。けれど、気仙沼の地に降り立ち、現実を目の当たりにした時、あまりの崩壊具合、悪臭と凄惨な空気の中で立ち尽くしてしまいました。
その時の情景は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
・・・と同時に、まず、一人の人間として何から手をつければいいのかさえ、判断を見失う悲惨な状況を理解し初めていました…。
そんな中、私たちは、前日(被災後10日目)にやっと救護の手が入った大島という離島に渡り、震災からほぼ手つかず状態の現地で、小学校に臨時の診療所を開設したり、訪問診療を行いました。
在宅の患者さんは倒壊家屋の中でずっと薬も無いまま我慢を強いられ、それでも文句の一つも口にされませんでした。逆に私達を気遣い「そちらもお身体は大丈夫ですか」「来てくださってありがとう」など、胸が熱くなるにことが何度もありましたね。現地では、その「瞬間、瞬間」での判断が非常に多く求められたことが記憶に強く残っています。どうすることが、患者さんにとって一番最良なことなのか…ヘリ搬送なども行なったり、常に判断と葛藤を繰り返していたといえます。

医師:内野氏

内野 通常の医療の現場では、道具・薬・スタッフがなければ、何も出来ません。しかし、災害医療は、「無いからどうしよう」ということではなく、「何も無いことを”基準”」として、考え動く医療といえます。そこで行なわれる「支援」とは、現地の方々を助けるのは勿論ですが、「地域を助ける」ことも目的なんです。助ける…それは、将来のビジョンが浮かばない苦しさから脱却し自立できるように支える、そこまでの援助です。

今回、診察させていただいた患者さん達には非常に喜ばれ、医者としては心から、現地に行って良かったなと素直に思います。そして、あの時期、我々を送り出してくれた病院スタッフには様々な負担があったと思います。そんなことを微塵も出さず、黙って協力してくれた事には本当に感謝の気持ちで一杯です。

先程、佐々木先生も話していましたが、本当に東北の方達は我慢強く、頭が下がります。普段の救急外来診療でも患者さんは苦しみや痛みを伴い藁をも掴む思いで、救急車搬送されてくるわけなんですけど…、最近問題になっている軽傷の救急車搬送問題などに実際触れると、救急専門医として、「千葉県の救急医療を在るべき姿に近づけるために何が出来るか」を日々考えてしまいます。

今だから話せる「本当の想い」――。

内野 今回、一緒に行った皆がどう感じているか…災害医療に参加して現地で感じたこと…、なかなか言葉に出来ないというもどかしさを私自身、何度も経験してきているけれど、きっと皆もあると思います。現地から戻って皆がそれぞれの部署で個々の業務に戻る…もちろん、病院の中で、業務の中で、皆と話合い協力しあって仕事をしているけど、こうやって派遣メンバーで集まることもあの時以降なかったし、今だから話せることもあるよね。

佐々木  千葉に戻ってきて普段の診療の中で思ったことは、物資や薬があり、「チームワームの取れたスタッフが揃っている」ことの有難みでしたね。我々は、薬や検査、治療器具が無いと持てる能力を発揮できません。物資や薬も整った中で、今の診療スタイルを当たり前のように出来きることが、こんなにも有難いことであること、自分を支えてくれるスタッフが常にいることの大切さを改めて思い知りましたね。

看護師:田中氏

田中  現地で色々なモノが無い中で看護を行なう経験をして、病院に戻ってから「できる最大限のことをしたい」と強く思うことに繋がりました。現在の環境が、充足した中で働けているのだということに改めて気付かされたことが一番の理由です。「もっと・・・」患者さんに何が出来るんだろうと考え続けています。恵まれているからこそできることはないか?なにか他に患者さんの為にできることはないか?…しっかりした答えが出ているわけではないですが、それを考え続けることが看護師としての使命じゃないかと感じています。

今回、災害医療支援に初めて参加し「機器やスタッフが不足している中で行なっていく災害医療」の経験は本当に衝撃的で、当初は何をすればいいのか全く分からず、先生方の経験を教えてもらいながら必死でしたね。

中川 私はテレビを見ていて特に気仙沼の画像が出ると、あの時のこと思い出して今はどうなっているのかすごく気になり胸が苦しくなります。

内野 中川さんは、帰ってきてもしばらく緊張していたよね

中川 そうなんです。平常心で働いているつもりだったんですけど、内野先生には気付かれてしまってましたね。
スタッフからいろいろ聞かれたり、心配してくれたり、同じ看護師として何かできることはないかと一緒に想ってくれる・・・。そんな気持ちが分かるからこそ、自分が感じたことは何でも話したいし、伝えたいと思っていたのですが・・・。
いざそれを言葉で伝えようと思うと、難しくてなんて伝えたらいいのか・・・?戸惑いを感じて上手く伝えられないでいます。

言葉にすると「想い」と別物になってしまう感覚…。
看護師:中川氏

中川 軽い言葉に聞こえたり、薄っぺらい感じになってしまったり。本当に伝えるって難しいです。
千葉に戻ってきて、街の様子はいつもと変わらないですが、私の中に映る周囲の景色はやはり変わったと思います。支援活動から戻ってきて一番印象に残っていることは、人と繋がる事の「強さ」と「大切さ」だと思います。
現地では本当に様々な職種の方やボランティアの方が参加し協力をしていました。その情景が頭に焼き付いているので、通常業務に戻った今も、何事も皆の支援があって、皆が協力しているから、日常生活も仕事も全てが成り立っているんだということをひしひしと感じています。
そして、仕事をチームワークで進めることに対しても、今まで以上に、自然と感謝の気持ちが湧いてくるようになりました。

石山 私は第2陣として相馬市に行きましたが、特に強く感じたことが2つありました。1つは連携の大切さです。全国各地から集まった医療支援班と現地のスタッフがいて、そのスタッフ同士の連携が初めは本当に難しかったです。初めて顔を合わせるスタッフと意志の疎通をスムーズに行なわないと、私達の戸惑いなどお構い無しに時間的猶予が全くありません。連携が取れていなければ活動することもできないので、「連携」の大切に改めて気がつかされました。
2つ目は、自分から患者さんの気持ちに入り込むことの大切さです。避難所で診療所を開いても、始めは患者さんがあまり来ませんでした。そこで自分達から患者さんに話しかけ、入り込んで行ったんです。実際は皆さん我慢していて、治療の必要な方がどんどん見つかりました。避難所では、必要以上に被災者の方は我慢しているんです。辛いとか痛いとか、苦しい胸のうちも皆さんぐっと堪えていて…。
今までも自分から患者さんの近くにいっているつもりでしたが、通常の業務に戻ってから、より積極的に動こうしている自分がいます。それにスムーズに連携が取れていることの動き易さをすごく感じて、私たちが患者さんの為にも、温かい看護・やりたい看護を行うには、連携が大切なのだと改めて思い知りました。

インタビュー風景
ことばが持つ「繋がるチカラ」 「人」を求める想いがことばの向こう側に――。

佐々木  現地の人たちは大変な状況なのにものすごく「強い」んです。応援に来ている僕たちにも常に気を遣ってくれて“こころの温かさ”を共有してくれるんです。それなのに、不用意に発した一言に忘れられない思いといいうか、…後悔が募る出来事がありました。

島はライフラインが全て断絶している状態――。

怪我をしてた患部の衛生面の説明をする際に、つい無意識のうちに「水で洗って・・・、お風呂で洗って・・・」といつもと同じことを言ってしまったんですね。そうしたら「水が無いし風呂も無いよ」と言われてしまいました。
安易に口に出してしまったことが、どれだけ現地の方を傷つけてしまったのかと、今もずっと心に引っかかっています。
他にも、ヘリ搬送時に携帯が通じなかったので「家の電話を貸してください」と言ってしまった私に「電気が通ってないから使えないよ」という返事。その時にやっと、電気も水もライフラインが遮断している中で、現地の方々が頑張っていることを、はっきりと認識できた気がします。
改めて認識出来た後が実は本当にきつかったですね。支援に来て、自分は何てことを言ってしまったんだろうと…。
現地の方は、ただの会話と受け止めてくれて、誰も腹を立てたりすることがありません。にもかかわらず、無意識のうちに「診察すること」でいっぱいになっていた自分に気付かされました。

田中 自分もありましたね。診療所の女性に皮膚のかゆみが出ているので軟膏を出してもらったんですけれど、お渡しする時に「風呂上りに」とつい言ってしまって、「お風呂、今、入れないけど…」と言葉が帰ってきてハッとさせられた。
そういう当たり前の生活が被災地では普通ではない。戻ってからも日常生活が恵まれていると常に感じています。その恵まれた感に対し、どこに矛先をもっていけばいいのか、ずっと頭から離れないですね。

看護師:石山氏

石山 私は、なんて声をかけていいのか分からない場面が多々ありました。うまく声が掛けらない、頑張ってなんて言葉を言えない、もう既に皆さん限界まで頑張っていることが痛いほど分かるんです。だから、皆さんの話をいっぱい聞きました。津波から逃げていく中、すぐ近くに一緒にいたのに流されてしまった方の話、一時帰宅した際に家に見ず知らずの方の遺体が津波で流されてきていたこと…。・・・その光景を思い出してしまうとか。ただ聞くしかありませんでした。お気持ちが休まるような声かけが、何もできなかったのが心残りです。
でも、どうやって声をかければ良かったのか、今も「答え」見つかっていないんです。戻ってからずっと考えていますがみつからないんです。

見つからない「ことば」と、寄り添える「こころ」

内野 話を聞くことで十分なのではないかな・・・。私はそう思っています。
彼らは“人”を求めている。仕事中の看護師に話しかけていいのか、避難所にいるあの人は知っている方だが話かけても大丈夫な状態なんだろうかと悩んでいる。そんな時に、どんな話題でもいい、心のとなりにそっと寄り添う、それが非常に大事です。その点で、凄いなと思ったのが保健師さん達です。彼女たちは、被災地の方々の中に、どんどん入り込んで心や身体に抱えているモノを引き出してあげていました。この方も体調が悪いのを我慢していましたよと、診療所にたくさん連れてきてくれたね。医師や看護師とは違う切り口で入り込む…保健師さん達から見習うことがたくさんあったよね。

中川 本当に皆さんこんなに苦しく辛いのに、我慢されていた方が本当に多かったです。佐々木先生が心不全の疑いでヘリで搬送した方も、ご本人はただの風邪だとおっしゃってて…。不用意な一言は私もありました。ご高齢の患者さんで老老介護をしていた方だったのですが、患者さんにコップのまま水を飲ませてむせているのを見て、吸い飲みも無いので、せめて口を湿せるように「氷は?」と言ったら「電気がきてないよ」、「ベッドを上げたら楽になるのでは?」と言うと「電動だから上がらないよ」と返事がきました。電気…電気が止まることってこういうことなんですね。
何かの手助けになればと、言った言葉が全く手助けにならず、支援に行ったのに、逆にライフラインさえもない状況を突き付けてしまったことが申し訳なくて、ものすごくショックでした。今でも、このような時に手助けになる言葉をどうかけてあげれば良かったのかと、答えが出せず、考えて続けています。もっと勉強して知識を拡げておけばお役に立てたのに、と悔いが残っていますね。今回の経験を通して、私は今、災害医療の勉強もしてみたいと強く思っています。

田中 そうですね…言葉は、もちろん大切です。でも言葉だけではない、大切なものも分かりました。日常とかけ離れた場所(被災地)では言葉の意識は薄くなってしまいます。つい出てしまう「頑張って」という言葉。この言葉の裏には頑張りが足りないという否定が混じってしまうような気がします。
被災地の方にとっては、これ以上どう頑張ればいいんだという思いもあるし、言われ過ぎている感覚もあります。最終的に私が思ったのは、ボディタッチが有効だと強く実感しました。手を繋ぐ、痛い所を擦るとか。自分の体温と患者さんの体温で、安心もできるのではないかなと思います。そういうところが、言葉以上に大きく、大切だと感じました。病院ではICU(集中集中治療室)に勤務しています。大きな手術後、寝たきりで話すことも出来ない患者さんなどがいらっしゃいますが、手を握ったり擦ったりする行動が以前よりも増え、自分の中で経験が活きていると思っています。

佐々木 僕は最初、現地のライフライン状況の現実をきちん理解しきれていなかったため、言葉で失敗した後は、伝えることの大切さに気をつけました。「応援に来てくれてありがとう」と言ってくれる被災された方々はそこで生き続けなくてはいけません。ですが、我々応援者は来たということは、いつかは必ず帰ります。在宅の方には特に、「明日も来るから」「自分達はこれで帰るけれど、次の人が明日も来るから大丈夫だよ」と伝えるように心掛けました。せっかく来ても、帰ってしまう人を待っているんだと思うと辛い想いをさせてしまうじゃないですか。少なくともこの瞬間は、一緒に頑張っていきましょう、そして、この先、離れても一緒に頑張って行きましょうという気持ちを伝えようとしましたね。

田中 自分達は4日間で帰って、何でも手に入る恵まれた環境に戻ってきています。被災者の方々は今も避難所生活を強いられたり、元の生活とは、ほど遠い現実の中で日々暮らしています。。一時帰宅が始まったとか、一歩一歩進んではいますが、悲惨な暮らしをしている人も沢山いらっしゃる。その中でテレビからの報道が減り、気持ちも薄らぎがちです。自分自身取り組める節水・節電、仕事に対しても患者に対して、今まで以上の優しさを持ち続け、被災地で学んだことを出していければいいなと思い、日々過ごしています。

今回の経験を活かす〜この先に繋がる取り組みへ

佐々木 今回は私たちが支援に行く立場でしたが、いつ支援を受け入れる側になってもおかしくないと思います。 個人でできることには限界がある。病院と地方自治体など、指揮・命令系統を一秒でも早く確立して、応援にきてくれる人たちのコミュニケーションを整備された状態で受け入れることが大事だということを学びました。物資はもちろん、「リーダーをきちんと決めること」は受け入れる側として何よりも大切です。そして冷静になること。誰もが一人の人間として、周りの人と協力して、連絡を密に取ることが大事です。そして、たとえ軽症な患者のことであっても、周りが把握していてその情報を常に皆で共有することが大事だと思います。

インタビュー風景

内野 災害地に行くだけが災害救護ではありません。千葉市に直下型地震が来たら自分達はどうするのか。私達は、災害現場を少なくとも経験した訳ですから、その経験をもとに自分達で仕組みを組み上げていかなくてはいけません。そういう被災に関するシステムを作っていくチームを立ち上げ、医療救護班として現地に行ったスタッフには、そのメンバーの中心になって、皆を引っ張って欲しいと思っています。我々は医療のプロですから、その知識と技術を使って支援をします。災害地だから特殊の技能が必要、ということではないと私は思います。検査・薬などが無いという状態が基準であることをまず理解してもらい、その基準を投げかけ、皆で考えて欲しい。例えば、アレルギーの人が来てアレルギーの薬を出したいが、無い。では治療できないのか?そうではない。ある種の鎮静薬を処方するのが一つの方法。その薬には、抗アレルギーの作用があるから。それはその知識を持っているからできること。知っていることとその知識を必要な時に活かせることが大事なんです。これを皆に伝えていきたいというのが、今の私の中の正直な気持ちです。これも私たちにできる未来へ繋がる形だと思います。

派遣メンバーは病院スタッフ皆の気持ちを乗せて現地へ 今回の救護班派遣は皆が支えた支援活動。

内野 経験をそのまま伝えたくても、言葉に含む重みや背景まで伝え続けるのは大変。でも働くスタッフの一員として、経験を伝えていかなければいけないのも、今後のテーマだと思います。ここ(千葉)が被災しスタッフ皆が「現地スタッフ」になる可能性も充分にある。態度で示すだけでは次に繋がって行きません。どうやって伝えるか悩むことも無駄ではなく、メンバーにとって大事なステップだと思います。ただ忘れてはいけないのは、周りの皆の想いと感謝の気持ち。皆も話を聞くことによって体験を共有したいと思っていてくれていると思います。

中川 きっかけがあれば今回の経験を話して聞いて欲しいと本当は心の中で、いつも思っています。でも、実際、どうだった?と聞かれると、話を選ぶのに何が一番言いたいんだろうと自分でも考えてしまい、何からを話していいか分からなくなります。帰って来てすぐの頃は、病棟でも皆に報告会に来て下さいね。と言っていたけれど、たくさん伝えたいことはあるのに、報告会では、上手に気持ちを伝えられないのがもどかしくて苦しかったです。今も、皆が話を聞こうとしてくれるので、伝えようと言葉で口に出してみますが、言葉にすると違うんですよね。すごく難しい。

看護師:田中氏

田中 そうですね。経験を伝えたい拡めたいと思ってもなかなか難しいです。感想を言うだけになってしまいます。経験を伝えることがうまく出来ない…それは、言葉で表現しずらいんですけど、4日間という限られた時間の中、現地に降り立ち、最初に受けた強烈な衝撃を受け入れるとか考える余裕もなく、無我夢中でした。日中、全力で駆け抜け、夜、束の間の時間だけ体を休める、そんな4日間でしたから。被災地の残酷な現実に戸惑いながらも、自分の中の限界まで何とかしようと頑張った記憶はあるのですが、口にして伝えられるほど詳細に記憶を蘇み起こすことが出来ないくらい、今でも消化できない気持ちがあります。
あまりにも、被災地は、非現実的でした。試行錯誤しながら、どうすれば一緒に働く皆に、この経験が届くか…そればかりを考えています。いま自分に出来ること、それは、辛いことがあっても被災地のことを考え、こんなことでへこたれないぞと、気持ちを強く持つこと。そういう想いの中で、『被災された方は我慢しているのに、恵まれている自分達が妥協してはいけない』と考え、前向きな姿勢が出るようになりました。ただ、それが経験で学んだことだから、とはスタッフには伝えられていません。

中川 被災地に行って戻ってきたことを、皆は「凄いね」とヒーローみたいに言ってくれて、皆、自分自身のことは「何もできていない」って言います・・・。
全然そんなことないと思います。被災地に行ったのは私たちですが、それを準備するたくさんの人がいて、帰ってきたら、お疲れ様、頑張ったねと言ってくれる人がいる。たくさんの人の支えや協力があったからこそ、私は頑張ったと認める事が出来たんだと思います。それを皆に感謝したいし、伝えたい。一人一人の思いやり、一つ一つのことが繋がって「支援」になっていると思っています。ですから、「この医療救護班は、すでに皆でやっていることなんです」とすっごく伝えたいんです。

ただ、田中さんも言っていましたが、それを口にしても感じた思いの深さまで伝えられず、きれい事の言葉だけが表面を流れてしまいそうで怖いです。皆も、募金したり、節電を心がけ、時には被災地に行った私たちを気遣い声をかけてくれたり…そのようなことが出来ているので、ひとり一人そういう気持ちを持ち続けて、被害があった人たちと共に生き続けるのが一番大切なのではないかと感じています。自分には何も出来ないではなく、最初から皆で一緒にやっているんだと伝えたいです。 医療救護班に行っていた期間、本当は病棟の皆には、急なシフトの変更で、個人の予定をキャンセルして出勤してもらったり、夜勤も増えて負担を掛けているはずなのに、誰ひとり、文句も言わず『頑張って来てね、こっちはいいから』と声を掛けてもらいました。そんな皆の優しい気持ちも自分だけ現地に向かう後ろめたさを軽くしてくれました。非常にありがたかったです。 現地に向かう車中、送り出してくれて、現場を守ってくれた病院スタッフ皆の気持ちを一緒に届けたいとと思っていましたし、届けてきました。

石山 私は、病棟の仲間全員にまだ上手く伝えられていないんです。患者さんから話してもらうだけでなく、自分から話かけるという姿勢を。やっと4月の入職者には特に気をつけて伝えるようになりましたが、中川さんの言うように、皆でやっているんだということは、本当に伝えたいし伝わるといいなと心から思います。うちのスタッフがいたから、私は現地に行けたと言う感謝の気持ちと、現地に行った者だけが知る被災地の方の苦難・優しさを、そして看護師として、一人の人間として、私自身の想いを伝えられるだけ伝えたいです。が、報告会だけでは上手く伝えられない。気持ちは「病院スタッフ皆で現地にいた」のだと伝えたいです。

佐々木 より多くの人に現地の記憶を話そうと思い、研修医たちには特に接する時間をできるだけ増やしました。僕自身も救急病院の研修医のころ、近くのプラントの爆発で災害に携わった経験があるのですが、その時は規模も今回より小さく、スタッフもたくさんいました。それでもやはり個々の能力が非常に問われる現場でした。研修医の時の経験と、今回の経験から、考えた方や瞬間で何を判断出来るかの差など、また災害に携わったことのない研修医たちが、自分達にが何ができるのか、なるべく伝え、考えるように話しています

インタビュー風景
現地で感じた病院スタッフみんなの支え
食料を詰めていた段ボールの寄書き

内野 現地で食料を詰めてある段ボールを開けてみると、箱の中に病院スタッフ皆からのメッセージが書いてあった。
あれはほんとにありがたかった。。。じーんと来たよね。皆がこれほどまでに想ってくれているんだなぁって。

中川 そうですね。正直なところ、行くまでは怖かったです。行ったらやるしかないという気持ちが強かったですが、出発する前、自分でもびっくりするくらい緊張して、何が起こるか分からない、津波が来るかもしれない、とか最悪な状況を考えていました。でも、私の気持ちを察して声をかけてくれる先輩達、忙しい中、救護班の事を心配し、時間の限り必死に準備してくれて、それを見ていて怖さが無くなってきたのもあります。あれも用意して、これも用意して、と。一人ではない皆がいるんだと、準備段階で強く感じました。

石山 私も、場所が相馬市ですので原発の問題もあって、怖い気持ちがあったのですが、田中さんと中川さんが、「参加を断ってもいいですよ。最終的には自分達が引き受けられるから大丈夫ですよ。」と言ってくれたのが心強くて、背中を押されました。若いのに二人ともすごいなと思いました。

救急車の前で

佐々木 現地に向かうために準備した荷物は、救急車に積んでみたらかなり重量オーバーして、皆の総体重を想定し、一箱一箱重さを測りながら調整したんだよね。器材や資材はあまり減らせないので、減らした物は殆ど自分達の食べ物だったけれど、食料を詰めてある段ボールにびっしり書かれた応援メッセージで胸がいっぱいになったね。物の調達やセッティング、勤務調整など、病院の殆どのスタッフが準備に関わったのではないかな。 現地に行った時は、余りの凄惨さに倒壊している家屋の間を走り抜けて、奥の家に往診に飛び込んだり、自分の身を省みている余裕が無かった。余震が来たら生き埋めになっていたんだと気付いたのは、帰ってきてからでしたね。帰宅後にそのことを思い出した時は、震えが来ました。でも、現地では限られた時間、人手の中で精一杯、支援したい思いで、向こうではほんとに良く走った。走り抜けました。

必ずしも100%の力を発揮できたわけではない。反省点は多々ある。 でも「頑張ったね」と労われる。それが災害医療に参加するということ

佐々木 今回、送り出してくれたスタッフがいたから僕たちは現地に行くことができました。準備に携わったスタッフの皆さん、送り出してくれたスタッフの皆さん、一緒のメンバー、そして受け入れてくれた現地の方。病院スタッフの皆さんは、見送りはもちろん、帰ってきた時にも、ものすごい人数のスタッフが出迎えてくれました。その皆さんの顔をみると、ついつい、人は一人で生きていると思いがちだけれど、こうやって多くの方に支えられて今があるのかと感じました。さらに迎えに出てくれた人の中には涙ぐんでいる人もいて、僕たちが無事に戻るのを祈る思いで待っていてくれたんだとグッときました。

中川 朝早い時間から見送りに来てくれて、本当に心強かったですね

田中 朝5時前でしたからね。出発も、行ってからも戻ってからも、周りのサポートなければ何もできなかったと本当に強く思います。

石山 今日このように話す場を設けていただいて、一緒に現地に向かったメンバーと話せて良かったです。送り出してもらい、現地を経験させてもらった者の責任として、皆にちゃんと伝えるよう努力を続けなくてはいけないんだと再確認しました。頑張ってみます。

中川 私もです。「皆の気持ちを背負って、現地に一緒に持って行って、皆で支援したんだよ。」としっかり伝えたいです。

内野 現地では、必ずしも日頃の100%の力を発揮できたわけではない現実があるのに、戻ってくると頑張ったねと皆に言われる。その言葉が嬉しくもあり、苦くもある。それが災害医療に参加するということ。そんな中でチームワーク、心の繋がりの大切さを皆が感じた。そのことが全てだと思います。現地に行った人も留守を守った病院スタッフ達も、これからもまだまだ直接的に手伝いたい想いはあると思います。行くだけではなく、未来へと繋がる防災と救護の土台づくりや、いま目の前にいる仲間や患者さんに想いを示すこともできます。被災時のトレーニングを医療者として進めることも避けて通れません。 支援に行った人たちがヒーローと思われがちだけれど、そうではない。現地で被災されても、なお懸命に前に進もうと頑張っている被災者の皆さん、現地の支援に行った全国から集まった大勢の皆さん、その準備に携わり、裏方として支えたた人達、送り出し留守の医療現場を守ってくれた人達。全員がヒーローです。

インタビュー風景

いま、こうして数々の想いを抱きながら、5人は医療と向き合っています。そして、5人の想いを確かに受け止めた病院スタッフ全員が今回の震災を通して、これまで以上に、人と人の繋がりを大切に、 前に進み始めました。ひとりひとりが出来ることには限界があります。でも、皆が一つになることでこれからの未来に繋がると思います。 ガンバレ日本!人と人の繋がりで、人は強くなる!! 最後に、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますとともに、被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます